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努力の代償

休日の晴れた昼間に屋内に居る事が出来ない僕は、こんな大雨の日曜も悪くないと思ってしまう。。 仕事の事で悩んだり、考えたりもするけどどうも最近方向がまとまらない・・・ BOSSが一貫性を無くしたらダメだ と思ってしまうから余計に焦ったりなんかして・・・ 最近までSNSもブログも食わず嫌いで、好きでなかったのに最近いいもんだと思っている。 自分がブログを書くなんて思ってもみなかったが、気が向いた時は何か書くのもいいもんだ。でも、自分の表現力の無さにイライラばかりしてしまうけど。。だってこれのタイトルすらいいのが思いつかない・・ 人のブログも読まないけど、この人のはとても気に入っている。勝手にリンクしていいのかどうか判らないので抜粋・・・ 僕が昔から感じていて、人に僕の考えとして伝えたい事なんだけど、彼みたいにこういう風に表現出来たらなぁって思います。 格差社会2006年の流行語らしいが、今もしぶとく残っている。しかしこんな言葉に何の意味もない。競争原理が働いている世の中で格差を問題にすること自体、間違っている。資本主義においては格差があって当たり前、だ。 誰が言ってるかわからなくても、ネタに困ったマスコミが飛びついて世の中に広める。もしくはメディアという大きな力でこの言葉を定着させたがっている。警笛をカーンと鳴らそう。格差社会という言葉を鵜呑みにしてはならない。 確かに便利な言葉だ。あらゆるネガティブなことを格差社会のせいにしたら、全部丸く収まりそう。「格差社会のせいで××できないんだよねー。」ってな具合。けど、それじゃ試合放棄だろ。お?国民全員に試合放棄させるためのキャンペーンか?冗談じゃない。 格差があるからこそ、価値が存在する。勉強も仕事も結果に差が出るから懸命にやる。芸術やスポーツだって、他より秀でているから、称賛される。この意味合いにおいて、格差ってのは必然。資本主義だから、がんばらない奴が貧乏なのもしょうがない。努力して道をつかんだ人と比べちゃダメダメ。差がでないんだったら、努力も工夫も発明も進化もない。 人間は生まれた瞬間から全員条件が違う。つまり“差”がある 。社会は歴史の積み重ねから生まれるもので、簡単にはデザインできない。自分の暮らしもなかなかコントロールできなくて、日々もがいている。そこらじゅうに転がっている不平等に対して騒ぎ立てても絶対解決しない。それをメディアが格差社会だ!と取り上げて社会問題に祀り上げることは大間違いだろ 正にその通りだと僕は思う。 彼がそうかどうかは判らないが、僕は格差があるから努力する。いや努力しないと格差の下の方に行っちゃうのは当然だから頑張る!かな? そんなに贅沢はしなくていいけど、美味しい料理を食べて、お酒を飲みたいから頑張る! ま、そんな感じか う~んやはり表現力が問題か・・・

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